2026/7/6 公開

この記事は、英語Q&Aコーナーに頂いた質問への回答(2017年公開)を再編集したものです。

英語の母音とフォルマント ― 「アゴ発音」の音声学的な裏付け

当サイトでは「英語の発音は口ではなくアゴ」という方法を提唱しています。これに対して、読者の方から核心を突く質問を頂きました。

Q. 顎を下げるというのは、解剖学的に存在する事実ですか、それとも主観的な感覚でしょうか。(スカイさん)

これまた、最高の質問をどうもありがとうございます。最高というのは、その点について書く機会をいただけたという意味です。

ご質問の内容を言い換えると「英語の発音はアゴを下げると良いというのは、学術的に何か裏付けがあるのでしょうか」ということですね。もちろん、あります。

フォルマントについて

まず「母音とは何か」で説明した内容をもう少し掘り下げてみます。母音は1.アゴの開き 2.舌の位置でほとんど決まる、と書きました。このように書いた理由は「フォルマント」という事象に基づいています。

声帯で発された音が、声道(声帯から口先までの空間のこと)を通り抜ける際に共鳴した結果が、通常わたしたちが耳で知覚する人の声です。声帯で発された音は、音声学では音源(Voice Source)といいます。この音源は、母音の特徴を持っていません。「ブー」というブザーのような音です。音源は、いろいろな高さの音(倍音)が混ざり合った音ですが、高い倍音ほど音量は小さくなりますので、通常は基音(一番低い音)の高さのみが知覚されます。音源は、声道を通り抜けるときに、声道の形に依存して共鳴します。どういうことかというと、特定の形の声道は、音源に含まれている倍音のうち、特定の周波数の音だけを強化します。言ってみれば、フィルターのように働くと言って良いでしょう。声道のフィルターを通った後の音は、そのときの声道の形状によって、特有の周波数にピークができます(特定の周波数の音量が大きくなります)。このピークのことをフォルマントと言います。

フォルマントは、周波数から低い順に、F1,F2,F3,F4,F5...と複数あります(周波数のピークは複数できます)が、母音の特徴はほぼF1とF2で決まることが分かっています。このことは簡単に実験できます。声を録音して、そこからF1,F2の周波数を取り除いた音がどう聞こえるかを聞けばよいわけです。私もソフトウェアを用いて実験してみましたが、F1とF2付近の音を消すと見事に母音の特性が消えてしまい、何の母音を喋っているか全くわからなくなります。

F1はアゴの開きに強く依存することが分かっており、F2は舌がどのように声道を狭めるかに依存することが分かっています。母音は「1.アゴの開き 2.舌の位置でほとんど決まる」と書いた理由は、このような音声学の知識に基づいています。

口ではなくアゴである理由

アゴを開けると、舌の位置が下がり、口腔下部の容積が減り、口腔上部の容積が増えます。このことは解剖学的な事実です。口の開きは、当然ですがアゴの開きにほぼ依存します。口を開くには、アゴを開かなければなりません。

ただし逆は真ではありません。アゴの開きをコントロールする筋肉が緊張していると、口先は開いてもアゴは十分に開きません。これは日本人に特有の現象です。このことを調査した学術論文は、私の知る限りではありません。ですから「日本人はアゴを緊張させがちである」というのは、私がいろいろな人の発音を診させて頂く中で発見したことです。ただしこの点については、学術的に正しいかどうかはさほど問題ではないでしょう。なぜなら、あなたがアゴを緊張させているかどうかは、アゴを緩める発声を試して改善するかどうかですぐ分かることだからです。口先を開かずにアゴを開くことは可能です。口先(唇)を閉じたままアゴをゆるめることができるということは、やってみればすぐ確認できると思います。

アゴの緊張が取れている前提であれば、口を大きく開けることは結果的にアゴを開いていることになり、口の中で起きている現象は同じと言えます。しかし、口先を大きく開けると、子音の発声に余計なエネルギーを使うことになります。たとえば ma'am(ご婦人・お嬢さん)と発音をするときに「この母音は口を大きく開ける」と覚えていると、口を開けたり閉じたりするのが大変ですし、不要な経過音が聞こえてしまう原因にもなります。アゴ発音であれば、このような問題はありません。余計なエネルギーを使わなくてすみ、特に速いスピードで話すときが楽になります(速く話す時は、より素早く口を開け閉めしなければなりませんから)。

英語の多彩な母音に対応するためには、口内の可動域を増やす必要があり、かつ英語の強い子音に対応するためには、最小限の動作で子音のポジションを得なければなりません。このことを合わせて考えると、口先を開きすぎずにアゴを開くと良い、という結論が導き出せます。

このあたりの知見(口を開けすぎることのデメリット)は、音声学というよりも、声楽の勉強や経験から得られたことです。私は、英語の歌をきちんと歌えない人を多くみてきていますので(ちなみに、歌唱の場合はここで語っていることよりもさらに多くのことを考慮しなければなりません)。

なぜアゴをゆるめる必要があるのか

英語の母音のフォルマント分布を見ると、F1 の取る範囲は日本語よりも広いです。従って「英語の発音においては声道の可動域を広げる必要がある」というのは、音声学的に正しいです。また日本語の母音「ア」におけるF1のとりうる範囲は他の母音と比較して広い(人によって出し方が異なる)ということがわかっています。言い換えるならば、深い「ア」を発声している人もいれば、浅い「ア」を発声している人もいるということです。もしも浅いアを発声している人の場合、アゴを緩めることの必要性はより増すことになります。

声の出し方は人によって異なる

音声学的には、どこでF1をコントロールしようが関係ありません。人によって発音戦略が違うと言い換えても良いでしょう。音声学が明らかにするのは「F1に対する影響はアゴの開きが最も大きい」というところまでです。たとえば、アゴを開かない代わりに喉頭の位置でフォルマントをコントロールしたとしても、それはそれで、そういう戦略を取っている人もいる、というだけのことです。声の出し方には唯一の正解があるわけではなくて、いろいろな方法があるのです。

このことを証明する、ちょっと面白い実験をしてみましょう。指を一本前歯でくわえてみて、その状態で、つまりアゴの開きを変えずに「アイウエオ」と発音してみてください。それなりに正しく聞こえるはずです。これは、本来アゴでコントロールするF1を、脳が自動的に何かで補ったことを示しています。つまり口蓋帆や喉頭などが補償的に動き、必要な声道の形を達成したということです(もちろん、このような部分の筋肉は能動的にコントロールすることは難しいですから、発音の勉強をするときに「喉の奥を広げろ」というような曖昧な方法が適していないことは明らかです)。ちなみにこのとき「アイウエオ」であれば比較的カンタンに発音できますが、英語だとこうはいきません。かなり曖昧な声になってしまいます。このことも、英語にはより多彩なF1が必要ということの証左になります。

私は、音声学および声楽の知識から「こうすると悪影響が最も少なく、楽なはずである(そして実際、私も楽である)」という方法を提唱しています。もちろん、このような戦略を取らないことは自由です。人の身体はそれぞれ異なります。(体型や方言などの影響で)日本語の時点ですでに十分に深い母音を達成している人もいることでしょう。喉頭を下げることによってアゴの開きを変えずに舌の位置を下げている人もいるかもしれません。その場合、影響を受けてしまうF2を何らかの方法で補償していることでしょう。声の戦略は実に多様です。自分に合うと思ったときに、私の方法を使ってください。

究極的なことを言ってしまいますが、学術的な正しさというのは、このようなメソッドを提唱する側はきちんと検証すべきだと思いますが、そのメソッドを利用する側は、あまり気にしなくて良いのではないかと思います。なぜなら、学術的に正しかろうが、自分にとって発音が改善しなければ何の意味もありませんし、逆にエビデンスがない方法でも、なんとなくイメージによってたまたま身体がそれなりに正しく動き、それっぽい発音ができるならば、そちらの方が役に立つからです。ちなみに自分の発している声が正しいかどうか分からないという場合は、まず録音で確認するという習慣を先につけるべきです。

いずれにしても、母音というのは「差」が大事です。人によって声の出し方は異なりますので、異なる人同士が発する声の間では、同じ母音でもフォルマント構成が同じとは限りません。つまり母音に「唯一の正解」というものはそもそもありません。「正解の範囲」だけがあり、しかもそれはかなり広いものです。しかし、自分の中では異なる母音同士をクリアに区別して発音できなければなりません。その母音同士の差が一体どこで作られるものなのかについては、正しい知識を持っていたほうが学習しやすいと私は思っています。

さらに言うと、こういった「意識」はいずれ潜在意識下に消えていくものです。たとえば、アゴを意識しながらずっと話すことは不可能です。学習段階で、その音に必要な響きを脳に刻みこんだら、実際に話すときは「その響きを達成するために身体が勝手に動く」という状態になるのが普通です。とはいえ、音声学的に正当な方法で学習することは、この学習プロセスをより楽に早くしてくれると思います。

まとめ

私が提唱する「アゴ発音」は、解剖学、音声学、声楽の知識、そして自らの経験から得られた知見によって成り立っています。ただし、この戦略を採用するかどうかは、学問的な裏付けがあるかどうかよりも、ご自身に実際に効果があるかどうかで判断することをおすすめします。

実践的な練習方法は「英語の発音は口ではなくアゴ ― アゴをゆるめる練習方法」と「英語の発音と舌の位置」をご覧ください。

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